|
20080429 0017 降る空 |
|
|
(ああ、今これ以上に大切な事があろうか。)
二階の窓から上半身を仰向けに投げ出していた。 不安定な体勢ながら、頭の二十センチも下には人が二、三人寝転がれるようなスペースの屋根があったから落下の心配は無かった。窓の手摺に体重を預けつつ、深い海のような色の空を堪能する。 屋根の上には人影があったが―あの姿は私の母か父であったろうか―、空を一心に見つめていた私の目には殆ど映らなかったのである。 その人物が低く何かを語りかけても、私の耳に意味を為して入ってくることは一切無かったのだ。 (これ以上に大切なことがあろうか。いや、無い。) 私はゆっくりと噛み締めるように頭の中で呟いた。 深く、だが決して暗くない美しい空。 海のような濃さのブルーに、散り散りになった雲が悠々と泳いでゆく。 昼とも夜ともつかないその景色は、白・黒・青のみで成り、目に痛いほどに眩しいはずのその色彩が、私の目には大層柔らかく、優しいものとはっきりと映ったのであった。 私は感情が溢れそうになりながらも、目を皿のようにして天を見つめていた。 と、その時、無数に泳ぐ雲の一つがまるで水に沈むように降ってきたではないか。 幾何学模様のような美しい景色が崩れる様に目を見張っていると、いくつかの他の雲も立て続けに下降していった。 それは「ヒューン」とかそんな効果音が似合いそうな、重みを持った物が液体に沈むようなとろさであった。 降る雲は次第に数を増し、景色はまるで大粒の雪の舞うような美しさであった。 視界の端にいた人物が揺らぐ 低い声で私に語りかける スローモーションをかけたような動きで、こちらに体を一歩ずらした。 時の流れが硬い水の中を進むような夢の中、私はもう一度感嘆の想いを胸中で深く深く呼吸するように呟くと、瞳を閉じた。 *** 目覚めたのは、明るい水色の部屋の中であった。 広さは八畳程であろうか。私は先程体を擡げていた窓の下の壁に、背を丸めて頭を預けている。 手足はだらりと投げ出していた。 水色の部屋、今度ははっきりと人物を見ることが出来た。 先程見た大人より、幾分か小柄なあれは、私の妹のように見える。 髪を二つに結い、繋ぎのジーパンの内側にボーダーのシャツを着ていた。 バケツと脚立を窓の無い方の壁に置き、その少女は空色の壁を墨のような黒いペンキで塗り始めた。 大雑把に壁の四隅、天井、跳ぶ様にかけながら染めて行く。 激しく動いている少女、だが何故かいつも後ろ向きで顔が見えなかった。 (あれは) 最初にその少女が立っていた方の壁を見る。丁度上下左右の辺が塗りつぶされて四角い黒い枠に囲まれたようになった其処には、確か窓があったはずではなかったか、とおぼろげに思った。 (そうだ、ここは私の家だ) 先程の屋根は私が幼少の時に、母が布団を干し、父とよく寝転がっては遊んだ場所だ。 (今いる部屋はテレビがあった部屋だ) (そうだ、白い壁のあそこには確かに窓がもうひとつ) だが私が今見ているものは、白い雲のような模様が描かれた水色の壁の何も無い部屋。 四角いだけのそのスペースをどんどん黒く染めて行く黒髪の。 |
|
| コメントの投稿 | |
| コメント | ||
|
|
||
| TRACKBACK URL | ||
|
||
